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Music Storeでご利用できる商品の詳細です。
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1曲まるごと収録されたファイルです。
<フォーマット>
1曲まるごと収録されたCDを超える音質音源ファイルです。
<フォーマット>
詳しくは ハイレゾの楽しみ方 をご確認ください。
シングルもしくはハイレゾシングルが1曲以上内包された商品です。
ダウンロードされるファイルはシングル、もしくはハイレゾシングルとなります。
ハイレゾシングルの場合、サンプリング周波数が複数の種類になる場合があります。
<フォーマット>
640×480サイズの高画質ミュージックビデオファイルです。
フォーマット:H.264+AAC
ビットレート:1.5~2Mbps
混沌を演出することはできない。もしかしたら渋さ知らズは、永遠がないように、混沌なんてないんだと言ってるのではないだろうか。だから何でもありであり、また、そもそも初めから何にもないのだとも言える。今更気づいても遅いのかもしれないが、ジャズはまさにそういう音楽であったのかもしれない。ここには、フリー・ジャズもあれば、歌もある。ダンスもできれば、お祭り騒ぎを楽しむこともできる。いろいろあるのでこれはジャズではないとかジャズだとか考え込む人がいたり、解説を試みる人がいるかもしれないが、そんなことはお節介というものだ。いくら考え込んでもロクな答えはないはずである。それよりもむしろ、この音楽の気ままな姿に曖昧さはなく、しっかり音楽してるからこそ音楽家も聴衆も、この巨大な広場を楽しむことができるということの方が重要だ。たとえば大漁節の掛け声を使ったソウル・ナンバー(?)「We are a Fisherman Band」は、日本の馴染みの素材の演奏で、海外ではエキゾチックな魅力で喜ばれるかもしれないが、けれど音楽が楽しいということには海外も国内もない。そこには作為を超えた当たり前の音楽の楽しみがあるだけで、結局のところ、何が渋さ知らズなのかは、それをしっかり見据えるところから始まっているということではないだろうか。全体に幾分60年代風日本の猥雑なポップ・ジャズの色彩を感じるけれど、でも、それもまたどうでもいい。そもそも日本のジャズがフュージョンなのだから……。いや、日本の私だからそんな感想がもれるが、この猥雑さは、むしろ戦前のサッチモらのポップなジャズの古典に直に繋がっていると言った方がいい。けれどそれがジャズの伝統などと構える必要などはどこにもない。初めから枠など存在しないどんな音楽にもあるはずの音楽以前の楽しみなのだから。ますます渋さ知らズは、奇跡のポップ・グループだと思った。(CDジャーナル)